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踊るエンジニア 〜システム開発現場の風景
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第8回:さらば愛しきプロジェクトマネージャー

著者:ビーブレイクシステムズ  鹿取 裕樹   2005/9/20
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最後のプロジェクト

   このプロジェクトマネージャーは年齢が60歳で、植田(仮)さんという方でした。また、このプロジェクトがプロジェクトマネージャーとしての最後の仕事になるとのことでした。

   最初に感じていた不安が、1日一緒に仕事をしただけで吹き飛ぶことになるほどの実力の持ち主で、皆が植田さんを信頼するようになりました。
あふれるバイタリティ

   まず、植田さんは非常に前向きで、バイタリティにあふれていました。開発メンバーやお客様と頻繁にコミュニケーションを取り、不明な点を次々と潰していきます。開発メンバーには、朝から夜まで疲れた顔を見せることがありませんでした。

   筆者はその姿を見ると、タイプは違うものの昼の某長寿番組の色黒の司会者を思いだしました。


幅広い知識

   そして、業務や技術についても幅広い知識がありました。プロジェクトマネージャーになる前は工場で生産管理の仕事をしていたとのことです。そのため、生産管理業務についての豊富な知識を持っているのは当然だったのですが、その他の業務についても一通りの知識を持っていました。

   また、技術についてもハードウェア・ソフトウェアのどちらでも一通りのことは知っていました。

   どうしてそんなに何でも知っているのかと不思議に思い、どのように知識を身につけているのかをたずねたところ、「サルでも分かる」的な入門書を読んでいるだけとのことでした。

   曰く、プロジェクトマネージャーは技術者ではないので、深い知識は必要ないが顧客や技術者の話を聞き、それが正しいかを判断するために、幅広く本質的な知識が必要とのことです。

   その後の植田さんの姿を見るにつけ、この言葉の正しさを実感していくことになりました。


リーダーシップ

   あるチームで開発が遅れ、1ヶ月ほど終電続きとなっていました。また、顧客との関係も悪化し、チームメンバーのモチベーションが下がってきていました。

   顧客と開発チームとで責任をなすりつけあっている場面もありました(表1)。メンバーからの質問がたらいまわしにされ、解決されないこともありました。

メンバー「この処理の仕様を教えて下さい。」
スケジュール
サブリーダー「それはパッケージのインタフェイスの部分だからパッケージのチームに聞いて。」
スケジュール
パッケージチーム担当者「そのような処理は聞いていませんでした。そのような処理に対応するにはパッケージにカスタマイズが必要なので、リーダーに聞いて下さい。」

表1:責任者はどこ…

   また、過度に負担が集中しているあるメンバーが休日も出勤していました。リーダーに訴えても状況は改善されず、「自分は何のためにここまでやっているのだろう。」と、気持ちが切れかけていました。

   植田さんはこれらの状況をいち早く察知し、すばやく対応していきました。

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ビーブレイクシステムズ
著者プロフィール
株式会社ビーブレイクシステムズ  鹿取 裕樹
オープン系ITコンサルタント。SAPジャパン社にて、ERP導入コンサルティングを行い、そのユーザ企業の現場でJava及びオープンソースの躍動を感じ、それらに興味を持つ。その後、会社を設立。オープンソース及びJavaを用いたシステム提案活動を行い現在に至る。専門分野はSAP R/3と連携するWEBシステムのコンサルティング。


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