TOP
>
サーバ構築・運用
> 自由に支えられたUNIXの歴史
たかはしもとのぶの「はじめてのオープンソース」
第10回:歴史から知るオープンソースの心
著者:
たかはしもとのぶ
2008/04/16
前のページ
1
2
3
次のページ
自由に支えられたUNIXの歴史
もとのぶ先生
森君って、入社直後の技術研修で、コンピュータの歴史について習ったよね。
若宮さん
わたしが昨年教えましたよね。パンチカードとか、実物で見せましたよね。
森君
しくしく。降参です。ゆるしてください。
もとのぶ先生
昔メインフレームというコンピュータが主流だったってことは習ったと思うけど、IBMがデファクトスタンダードになる前は…
森君
デファクトって…?
もとのぶ先生
orz
デファクトは「de facto」というラテン語から来ていて「事実上の」という意味。スタンダードは「標準」。つまり、「事実上の標準」という意味で、ISOやJISといった、標準化機関などが定めたものではなく、市場での競争の結果、高いシェアを獲得するなどして、世間的に標準になったものを指すんだ。森君が、よく「みんながWindowsを使って、文書作成はWordで」と言っているのが、まさにデファクトスタンダードの一例じゃない?まぁ、金子さんがいる場所で、こんなこと言ったら大変なことになるけど。
若宮さん
なんか、金子さんの気配を感じるのは、私だけですか…?疲れているんでしょうか、背筋が凍り付くような感じが…。
森君
ぎゃー。アメリカから怨念がぁ〜。
もとのぶ先生
まぁまぁ。で、IBMが世界標準になる前は、本当にいろんな構造のコンピュータがあったんだ。
その頃は、コンピュータっていうと、部屋いっぱいにいろんな機械が並んでいたんだ。同じ会社のコンピュータでも、機種が違えばハードウェアの規格も違うのが当たり前。当然プログラムも、その機種専用のプログラムが使われていた。
だからコンピュータとソフトをわけて買うという考えがなかったんだ。ソフトっていうのはハードウェアの付属品、という考え方。そういう意味では今の家電とかとおんなじだね。
若宮さん
あのころは、紙テープを使って…。僕は、研修で必ず紙テープを見てもらっていますけどね、年ごとに反応が冷たくなって、最近は物珍しそうに見られるようになってしまいましたが、何ででしょうねぇ。ぼくらの時代、アニメのヒーローや博士は、みんな紙テープを見て、次の行動をとっさに考えたりして…あぁ、何もかもが懐かしい。
森君
若宮さんってそんな昔から仕事してたんですね。
若宮さん
まだまだ若いですよ(きっ!)
森君
(う、失言。話題変えなきゃ)うー、うー、うー。あ、そ、そうだ。
でも以前習ったときは、昔お金を払って買ってたソフトウェアがオープンソース化したとかいう理由で、無償になったって習ったような気がするんですが。
もとのぶ先生
それはもう少し最近の話だね。
本当の昔は、ソフトウェアというのはハードウェアの付属品だったし、そもそも特定の機種でしか動かなかったから、ソースコードがついていた。
そのうち、ハードウェアが統一化されてくると、ソフト単体の価値が出てきた。それでみんなソフトを「売る」ようになったんだ。売ってもうけるには、コンパイルすれば実行プログラムを生成できてしまうソースコードは非公開にした方がいいよね。
金子さん
そこに登場したのがすとーるまんさま…
もとのぶ先生・若宮さん・森君
あれ、金子さんの声がどこからか聞こえたような
若宮さん
研修でも話したような気がしますが、アメリカのベル研究所で、UNIXっていうOSが誕生しました。ところが、ベル研究所の親会社だったAT&Tが、独占禁止法の関係でコンピュータ関連への進出ができなかったため、UNIXはソースコードがメディアのコピー代だけで配布されるようになったのです。こうした経緯から、あっという間にUNIXが広まった。ソースコードにもどんどん改良が加えられ、いろいろなコンピュータに移植されて広まっていったのです。そして、この当時の広まり方、つまり、ソフトウェアの関する考え方や作り方が、今もなおUNIX系での開発には息づいていると思うんです。
森君
ふーん、確かに改良するにしても、別のコンピュータに移植するにしても、ソースコードが自由に扱えるのは絶対条件になりますね。これがオープンソースの始まりですかー。
若宮さん
オープンソースという言葉は、かなり最近の言葉ですよ。金子さんなんか、最初口にするまで、相当抵抗していましたよ…と、これはもうちょっと後回しにして。
でね、森君。なんとなく、オープンソースの原型らしきものが見えてきたと思います。ところが、まだ、あの方が出ていらっしゃらないと思いませんか?
金子さん
(^_^)
森君
なんか、金子さんがいた席のパソコンに、光がさしてますよ…。
もとのぶ先生
さっき出てきたAT&Tだけど、その後、会社が分離・独立するんだ。と同時に新分野への参入ができるようになった。で、AT&TはUNIXでライセンス ビジネスを始めたんだ。コンピュータメーカがUNIXのライセンスを買い、いろいろな機能を追加したUNIXを自社製品としてハードウェアに搭載して販売するようになったんだ。このUNIXには、ソースコードはついていないし、自由に改変すること、改変できても公開することができない…。
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大図を表示します)
森君
UNIXがオープンじゃなくなったんですね。
もとのぶ先生
企業ではそうなってしまったね。
ただ、こうした流れをそのまま受け入れなかった人たちもいた。UNIXと似た操作・機能を持つ自由なOSを作ろうという動きが出てきたんだ。ここで登場するのが、あの、リチャード・ストールマンかな。彼は、非常に優秀なプログラマで、GNU Emacsというエディタや、GCCというコンパイラなどを作った人としても有名だよね。
さて、この「GNU」だけど、"GNU's Not UNIX"の略で「GNUはUNIXではない」という意味を持っている。GNUプロジェクトでは、フリーソフトウェアで、UNIXと互換性のあるソフトウェアを作ってきた。このGNUプロジェクトで活動していたストールマンが「
Free Software Foundation(FSF、フリーソフトウェア財団)
」を設立したんだ。
森君
へぇー。ストールマンって、うさんくさいおっさんとしか思えなかったけど、それだけ聞くと、なんかちょーかっこいいじゃないですか。知りませんでしたー。かんどーしたぁ。
金子さん
あーんーたーーーいーまーごーろーきーづーいーたーのーーー
森君
なんですか、今の恨みがましい気配は。
若宮さん
金子さんが、ストールマン信奉者なのは、結局、その自由であることの意義と重要性に気づき、目覚めたからだと聞いてますよ。
本記事はフィクションであり、実在の人物には一切関係ありません。
前のページ
1
2
3
次のページ
著者プロフィール
たかはしもとのぶ(高橋基信)
1970年生まれ。1993年早稲田大学第一文学部哲学科卒。同年NTTデータ通信株式会社(現:株式会社NTTデータ)に入社。
クライアント・サーバシステム全般に関する技術支援業務を長く勤める。UNIX・Windows等のプラットフォームやインターネットなどを中心とした技術支援業務を行なう中で、接点ともいうべきMicrosoftネットワークに関する造詣を深める。
現在は「日本Sambaユーザ会」スタッフなどを務め、オープンソース、Microsoft双方のコミュニティ活動に関わるとともに、各種雑誌への記事執筆や、講演などの活動を行なっている。
INDEX
第10回:歴史から知るオープンソースの心
オープンソースの歴史は?
自由に支えられたUNIXの歴史
フリーソフトウェアのフリーって?