TOPキャリアアップ> 第34回:アクセンチュア程社長もプログラミングから始まった
第34回:アクセンチュア程社長もプログラミングから始まった
IT転職百科事典

第34回:アクセンチュア程社長もプログラミングから始まった
編者:Tech総研  2007/7/4
次のページ

Q:程さんは、1982年にスタンフォード大学工学部を卒業されています。当時、アメリカの大学に進まれるケースはまだ少なかったのではないかと思います。どうして海外に、また、どうして理系に進まれたのか、お聞かせください。
 グローバルな考え方を子供に持たせようという両親の教育方針で、私はずっとインターナショナルスクールに通っていました。ちょうど叔父家族がサンフランシスコにいたこともあって、アメリカの大学に進んだらどうか、となりました。私が進んだ大学は1、2年は一般教養で、3年から文理選択をすればよかったので、入学してから考えました。

 叔父がエンジニアでしたし、せっかくシリコンバレーに来たんだから技術系に進んだほうがいいだろうという単純な理由でした(笑)。理系のバックグラウンドがあったほうが、いろんな場面で役立つかもしれないという思いもありました。ただ当時からマネジメントに関心があったので、テクノロジーを究める道は考えていませんでした。専攻は管理工学。広く浅くいろいろな工学分野の基礎と工場経営やレイアウト、生産計画などを学びました。大学院は考えず、就職してからビジネススクールに行こうと思っていました。
Q:なぜ、コンサルティング業界を選ばれたんですか?
 私がアメリカで学んでいた1980年前後は、日本の自動車産業やエレクトロニクス産業が世界を席巻し始めたころ。日本脅威論がささやかれ、一部の街では日本の製品がハンマーでたたき壊されたりして、「日本に追いつかれるんじゃないか、もっと競争力を高めなければいけない」というムードがアメリカ中に広がっていました。この事実には正直、驚きました。日本って、すごいじゃないかと。

 もちろん、アメリカと比べて非効率なところもたくさんある。でも、明らかに強みもあった。大学では、多くの留学生はアメリカで就職することを希望していましたが、僕は逆でした。むしろ、日本に興味があった。なぜ日本がこんなに強いのか、知りたかったのです。ところが日本では、海外大学の新卒を受け入れてくれる会社は当時なかなかありませんでした。受け入れている業界のひとつが、コンサルティング業界でした。

 僕が入社した頃は、まだ会計事務所のコンサルティング部門で陣容も50人ほど。正直、この選択で本当に大丈夫か、という思いもありましたが、2年間は大学院に行ったつもりで勉強して自分のキャリアを確認する期間にしていいと言われたこと、また人とコンピュータの両方が好きなら来なさいと言われたことがとても印象的で、最終的な決め手になりました。
Q:入社されて以降は、とんとん拍子に、という感じですか。
 いえいえ、結構苦労しましたよ。最初はプログラミングから仕事は始まりました。日本では会社の知名度も高くなかったですから、仕事も限定されていました。僕はちょっとおっちょこちょいなところもあって、とても優秀なプログラマとはいえなかったかもしれません(笑)。ミスもよくしていました。

 今も覚えているのは、あるプロジェクトで、マスターデータをすべて消してしまったこと。翌日からお客様を含めたプロジェクトメンバー全員で合宿に行こうとしていた金曜日の夜の出来事でした。ショックでした。でも、新人がちょっと触ったくらいでデータが消えちゃうシステム自体が、そもそもおかしいと当時は思っていました。結局お客様の課長と二人で週末居残り、復旧に当たりました!
Q:20代、30代はどんな意識で仕事をされていましたか。
 入社2年目にチームのサブリーダーを任されたんですが、お客さまとの打ち合わせのとき、同僚がふーっとタバコをくゆらせて10分ほど一服していたら、担当の方に言われたんです。そのタバコは高いよね、と。私たちは時間単位で報酬をいただいています。その10分間も費用は発生しているわけです。以来、仕事に対する緊張感はそれまで以上に高まりました。お客さまに対価をいただいて成果を出す。そういうビジネスであることを、改めて認識したんです。後にシステムエンジニアとして、あるいはコンサルタントとして、お客さまへの提案のスケールがどんどん大きくなっていきましたが、いつもその原点を忘れないように心がけていました。自分の日々のすべての行動が付加価値を生むのだ、と。
Q:仕事キャリアについては、どんなふうにお考えでしたか。
 今もそうなんですが、こんなことやってみたい、あんなことやってみたい、というのが、いつもたくさんあるんですよね。プログラマ時代は、システムエンジニアになって、システムの設計をしたいと思うようになりました。プログラマというのは、ある種、もって生まれた素質があって、自分はどうやら天才ではないということにも気づき始めて(笑)。そしてシステムエンジニアになると、だんだんビジネスそのものに興味が向かうようになりました。

 当初から、私は3年ごとにキャリアを見直すことにしていました。3年たつと、自分で3つをチェックします。所属する仕事場に貢献できているか。社内でやりたいことがあるか。社外に出たら市場価値はあるか。この3つのポイントを意識しながら、次の3年間を考えていきました。プログラマになって、システムエンジニアになって、アメリカのビジネススクールに行って、戦略コンサルティングに携わって、とキャリアが広がっていったのは、3年ごとのステップアップを常に考えていたからだと思っています。


リクナビNEXT 程氏はどのようにキャリアアップしてアクセンチュアの社長になったのか。またグローバル企業に長年在籍してきた氏は日本のIT業界や技術者をどのように見ているのだろうか。  続きはこちら>>

次のページ